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ジョン・サイクス、悲運のギターヒーロー(シン・リジー、ホワイトスネイク、ブルー・マーダー)

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ジョン・サイクス。1959年生まれ。イングランド出身のハードロックギタリスト。

卓越したギターテクニック、伝統的なブリティッシュハードロックをベースにした多彩な作曲力…そして、ブロンドヘアーが輝く高貴なルックス。

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その圧倒的な魅力から熱狂的なファンを持つジョンですが、最後のオリジナルアルバムのリリースからなんと22年もの月日が流れてしまいました。

しかし!!!

2021年元日と7月5日。21年ぶりの新曲、2曲が発表されました‼︎

新曲についてはこちら。

【特報 7/5】ジョン・サイクスついに始動!新たに2曲のMV公開
21年ぶりの新曲「Dawning Of A Brand New Day」を記念して、ジョン・サイクスの魅力を徹底解説!

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いよいよジョンが始動しそう…?

この記事では、ジョンの本格的な始動を願って、1980年のデビューから今日までのジョンのカリスマ的な魅力と、数奇なキャリアをご紹介します!

行きましょう!

  1. 10代のジョンはギターだけが友達。しかし、ギターで友達ができる
  2. テレビでゲイリー・ムーアのプレイを見て感動!
  3. 駆け出しのバンドのセカンドギタリストとしてデビュー
  4. タイガース・オブ・パンタンの脱退理由は、米国でオジー・バンドに加入するため。しかし…
  5. ソロ曲での共作相手はジョンが憧れていたシン・リジー率いるフィル・ライノット。2人は運命的な出会いを果たします
  6. ジョンとフィルは意気投合。フィルは才能あふれるジョンをたいそうかわいがり、シン・リジーのギタリストに迎えます
  7. 希望に燃えるジョンの気持ちを知りつつも、フィルはシン・リジーの解散を突如宣言します
  8. ジョンは誘いを受け、デイヴィッド・カヴァディール率いる英国バンド ホワイトスネイクに加入します
  9. 師であり、兄であり、心の支えであったフィル・ライノットが他界。フィルとの死別にジョンは心に大きな痛手を受けます
  10. 1月に「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」が完成すると、デイヴィッド・カヴァディールは、自分以外のメンバー全員を解雇
  11. 復讐に燃えるジョンは、自らのバンド、ブルー・マーダー結成
  12. メンバーチェンジを経て、ブリティッシュハードロックにアメリカンテイストも加わったブルー・マーダー。2ndも必聴のカッコよさ
  13. 2ndアルバム以降、バンド名義を辞め、ソロ名義”サイクス”でキャリアを重ねます
  14. 新譜は完成するも…
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10代のジョンはギターだけが友達。しかし、ギターで友達ができる

1959年(ジョン 0歳)
英国レディングにジョン・ジェイムズ・サイクス として誕生。
レディングといえば、野外ロックフェスが行われる英国ロックの聖地ですね。

1973年(14歳)
ジョンの父親がスペインのリゾート地、イビザ島にディスコを購入・経営するため、父親と伯父さんと移住します(お父さんは事業家)。

1974年(15〜17歳)
エリック・クラプトン好きなギターを弾く叔父さんの影響から、ジョンはギターを始めます。

ジョンは、学校に馴染めず退学してヒマですが、スペイン語が全然話せないため友達ができず、1人孤独にギターの練習に没頭します。

しかし、練習でウデを上げると、ギターを通じて次第に友達ができ、サイケデリック・ロックやブルース・ロックをジャムりまくる日々を過ごします。ここがジョンのギタリストとしてのルーツ。

1977年(18歳)
お父さんの仕事の都合で、ジョンは再び英国に戻ります。そして、ギターとはまったく関係ない、建築の仕事を始めます。

大好きな彼女と同棲を始めると、彼女から「ギターは辞めて」と頼まれて、素直にギターを辞めちゃうジョン…そして約2年もギターに指一本触れないジョン…。

しかし!

テレビでゲイリー・ムーアのプレイを見て感動!

ジョンが実際に見たテレビ番組はこれ!(これが今観られるYouTubeがすごすぎ!)。

Colosseum II (With Gary Moore) – Sight And Sound, London – Live (1977)

ジョンは、高速でギターインストを弾きまくるゲイリー・ムーアに衝撃を受けます。翌日すぐにギターを買ってきて復帰!レコードも買い漁って本気の猛特訓!

“ギター嫌い”の彼女とはお別れしてしまうんですが…。

ここからジョンのギタリストとしてのキャリアがスタートします。

駆け出しのバンドのセカンドギタリストとしてデビュー

1980年(21歳)
タイガース・オブ・パンタン 加入

英国の新人ヘヴィメタルバンド、タイガース・オブ・パンタンにセカンドギタリストとして加入します(ジョンは写真の右から2人目)。

ジョンは、”セカンド”ギタリスト にもかかわらず、お構いなしにギターを弾きまくります。ジョンのプレイは、バンドをレベルアップさせ、自身も若き新人ギタリストとして大きな注目を集めますが、バンドはヒットに恵まれず極貧生活。

不遇な下積み時代を過ごします。

Tygers Of Pan Tang – Love Potion No.9 (Official Video 1982) 

1982年(23歳)
タイガース・オブ・パンタンを脱退。ギタリストとしてさらなる飛躍を目指します。

タイガース・オブ・パンタンの脱退理由は、米国でオジー・バンドに加入するため。しかし…

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同年3月に飛行機事故でギタリスト ランディ・ローズを失ったオジー・オズボーンは、オーディションする後任ギタリスト候補としてジョンを英国から呼びました。

しかし、ジョンが米国に着いてみると、後任ギタリストはすでにブラッド・ギルス(ナイトレンジャー)に決まっており、まさかの門前払い。ジョンは、音楽ビジネスの厳しさに直面します。失意の中、英国への帰路につきます。

帰国したジョンは、ウジウジと腐らずに逆に奮起。
さまざまなアーティストとのセッションを精力的に繰り返し、MCAレーベルとソロ契約を結びます。

ソロ曲での共作相手はジョンが憧れていたシン・リジー率いるフィル・ライノット。2人は運命的な出会いを果たします

1982年(23歳)
ソロデビュー

タイガース・オブ・パンタンで躍動していた新人ジョンに以前から注目していたMCAは、ジョンにソロシングルの制作を持ちかけます

これを快諾したジョンは、かねてから憧れの存在だったシン・リジーを率いるフィル・ライノットとの共演を希望します。そして、タイガース・オブ・パンタン時代のプロデューサ、クリス・タンガリーディスの紹介でフィルとの共演が実現します。

名目はソロ曲ですが、実際はジョンとフィルの”共作”となった「Please Don’t Leave Me」は、切なく繰り返されるギターリフレインが印象的なバラード。随所にジョンが敬愛するゲイリー・ムーアの影響を感じる名曲です。必聴です!

Phil Lynott John Sykes Please Don’t Leave Me Full Version

ジョンとフィルは意気投合。フィルは才能あふれるジョンをたいそうかわいがり、シン・リジーのギタリストに迎えます

1983年(24歳)
シン・リジーに加入!

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しかし、

希望に燃えるジョンの気持ちを知りつつも、フィルはシン・リジーの解散を突如宣言します

フィルは、シン・リジーとして最後のアルバムを出し、ラストツアーのあとバンドを解散することを明らかにします。ドラッグがバンド全体をむしばみ、活動の継続が困難になっていました。

ジョンが加入し、大きな貢献を果たしたアルバム「Thunder and lightning」はハードロック史に輝く名作となりました。特に「Cold Sweat」は、ジョンが書いたリフからバンドがジャムって、1時間で書き上げた曲です。

THIN LIZZY – Cold Sweat- LIVE

奇しくもジョン生誕の地、英国レディングでのフェスティバル出演を最後に、8月、シン・リジーは予定通り、ファンに惜しまれつつ正式に解散します。

ジョンは誘いを受け、デイヴィッド・カヴァディール率いる英国バンド ホワイトスネイクに加入します

1984年(25歳)
ホワイトスネイクに加入!

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デイヴィッド・カヴァディールは、すでに完成していたアルバム「Slide It In」を米国で売るため、ジョンの若々しいギターで再録音します。

アルバムは見事ヒット。ジョンはホワイトスネイクの米国進出に大いに貢献、ツアーも大盛況です。

Whitesnake – Slow an’ Easy (Official Music Video)

Whitesnake – “Crying In The Rain” (Live 1984) 


1985年(26歳)
ホワイトスネイクはジョンの影響からブルースロックバンドからハードロックバンドへと変貌していき、後にリリースされる名盤「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」への流れができつつありました。

Whitesnake – Slide It In – Rock in Rio 1985

この映像は、のべ1300万人を動員した「ロック・イン・リオ」のライブ。デイヴィッド・カヴァディール、ジョン・サイクス、ニール・マーレイ、コージー・パウエルの4人は、ホワイトスネイク最強のラインナップ。

すべてが順調に進んでいたはずでした。

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師であり、兄であり、心の支えであったフィル・ライノットが他界。フィルとの死別にジョンは心に大きな痛手を受けます

1986年(27歳)
フィル・ライノットとの別れ

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新アルバム「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」にはすでに制作に着手していましたが、フィルの死を悼むため、英国に一時的に帰国します。レコーディングは大幅に遅れますが、年内にほぼ完成。

しかし、この空白期間のあいだにデイヴィッド・カヴァディールはある企みを考えはじめます。裏切りの企みを…。

1月に「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」が完成すると、デイヴィッド・カヴァディールは、自分以外のメンバー全員を解雇

1987年(28歳)
ホワイトスネイク 解雇

フィルの傷がまだ癒えていないなか、ジョンはデイヴィッド・カヴァディールからひどい裏切りに遭います…突然の解雇通告です。

ジョンはまだスタジオに居るデイヴィッド・カヴァディールに問いただすため車で駆けつけ殴り込みますが、デイヴィッド・カヴァディールは気配を察して裏口から逃げました。

「卑怯者!」。それ以来、現在に至るまで2人は会っておらず、ジョンがデイヴィッド・カヴァディールを決して許すことはない、と何度もインタビューで答えていますね。

一方、「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」は空前の大ヒット…。

Whitesnake – Still of the Night (Official Music Video)

しかし、このMVにサイクスの姿はありません。このMVもこのMVも…。

Whitesnake – Is This Love (Official Music Video)

Whitesnake – Give Me All Your Love (Official Music Video)

時代はハードロック・ヘヴィメタルが世界的に音楽チャートインを果たした、もっとも盛り上がった80年代。

そんな大成功を謳歌するツアーメンバーのなかに、ジョンの姿はありません。
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復讐に燃えるジョンは、自らのバンド、ブルー・マーダー結成

1989年(30歳)
自らのバンド、ブルー・マーダーを結成

「サーペンス・アルバスを作ったのは俺だ!その証拠にこれを聴け!」

そう言わんとばかり、「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」の世界観を踏襲しつつ、さらに壮大にスケールアップしたハードロック史上屈指の名盤「Blue Murder」を作り上げました。初めてジョン自らボーカルもとっています。

ブルー・マーダーは最強のトリオバンド。トニー・フランクリンのフレットレスベースと、カーマイン・アピスのハードアタックなドラムが冴え渡ります。

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3人のダイナミックなパフォーマンスが冴えるライブ映像。

Blue Murder Billy on the Big AL Show

エジプトをテーマにした壮大な曲。ブルー・マーダーならではの大作曲。

Blue Murder – Valley Of The Kings

アコースティックギターの小気味良いリフが気持ちいい曲。スケール感のある後半の展開もグッドです。

Blue Murder – Jelly Roll

メンバーチェンジを経て、ブリティッシュハードロックにアメリカンテイストも加わったブルー・マーダー。2ndも必聴のカッコよさ

ホワイトスネイクの解雇劇のトラウマが残るジョンは、自らがコントロールできるバンドかソロ活動に集中していきます。

1993年(34歳)

前作「Blue Murder」は高い完成度だったもののセールスが奮わなかったことから、英国色に加えて、ポジティブでアグレッシブなアメリカンテイストを加えたハードロック を作っていきます。
そして、名盤「Nothing But Trouble」を完成させます。

オープニングを飾るこの曲は、かつて在籍したアイルランド出身のハードロックバンド シン・リジーを彷彿とさせる攻撃的なナンバー。キャッチーなギターリフ、ハイテンションなギターソロ、情感たっぷりのボーカルと、ジョンの魅力が詰まった1曲です。

Blue Murder – We All Fall Down

アコースティックギターで奏でるバラード。横浜でのインストアライブの模様です。

Blue Murder(John Sykes) – She Knows

1994年(35歳)

日本公演を収録したライブ盤「Screaming Blue Murder」をリリース。

Blue Murder – Screaming Blue Murder: Dedicated to Phil Lynott

2ndアルバム以降、バンド名義を辞め、ソロ名義”サイクス”でキャリアを重ねます

1995年(36歳)

3rdアルバム「Out Of My Tree」。バラエティ豊かな楽曲が収録されていて、「I Don’t Wanna〜」はジョンとしては意外なパンキッシュなナンバー。キャッチーでライブで大いに盛り上がる1曲です。

Sykes – I Don’t Wanna Live My Life Like You

1997年(38歳)

ウェットなラブバラードもジョンの得意分野。4thアルバム「Loveland」は、「Please Don’t Leave Me」の流れを汲む新曲を収録したバラード・アルバム。

John Sykes – Everything I Need

5thアルバム「20th Century」は、ライブ映えするノリ重視のポジティブな曲でまとめられたハードロックアルバム。

Cautionary Warning

2000年(41歳)

5thアルバム「Nuclear Cowboy」はファンの間でも賛否が分かれている問題作。デジタルビートを大胆に取り入れたジョンの新機軸。当時人気を博していたリンプ・ビズキットやヒップホップの影響を受けたとジョン自身がインタビューで答えています。

★★★ John Sykes – “We Will” (2/12) | Nuclear Cowboy (2000) ★★★

これが現時点でジョンの最新のスタジオアルバムです。このアルバムから21年間、新曲を発表していませんでした。

2004年(45歳)

直近のアルバムという意味では、このライブアルバム「Bad Boy Live !」が最新です。
ホワイトスネイクからの解雇以来、ホワイトスネイクの曲を音源として発表するのは本作が初めてでした。ジョンがプレイする”本物”の「Bad Boys」は幻のライブとして格別です。

★★★ John Sykes – “Bad Boys” (Live 2004) | John Sykes Bad Boys Live! ★★★

新譜は完成するも…

2004年のライブ盤のリリース以降、信頼していたマネージャーとの死別、レコード会社・マネジメント会社への不信、ジョン自身の深刻な交通事故、さまざまな理由で沈黙状態が続いていました。

しかしようやく、新アルバムはすでに完成していて、あとはリリースを待つばかり。

先行して2曲のMVが発表されています!

John Sykes – OUT ALIVE

 

John Sykes – DAWNING OF A BRAND NEW DAY

 

いかがだったでしょうか。

以上、ジョン・サイクスのキャリアを振り返りました。

ジョンの新たなスタートに期待しましょうね!

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また会いましょう!

 

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