ジョン・サイクス、悲運のギターヒーロー(シン・リジー〜ホワイトスネイク)


1月2日のブログで「ジョン・サイクスが21年ぶりの新曲発表!」って記事を書いたところ、たいへん多くの人に読んでいただきました。ありがとうございますっ!

ジョン・サイクスの21年ぶりの新曲、嬉しいですね〜、イイ曲!。
新アルバムへの期待がさらに高まります。

今日は、

ジョン・サイクス第2弾!「若き日のジョン・サイクス」。甘いルックスとギタリストとして天賦の才能で若くしてチャンスをつかんだジョンですが、幾度も悲運に翻弄されます…

オジー・オズボーン
冷たい音楽ビジネスの洗礼。

フィル・ライノット、
救ってくれた心の師との死別。

デヴィッド・カヴァディール、
パートナーの裏切り。

行きましょう!
※Burrn!1988年5月号から引用

10代のジョンは、ギターが友達で孤独に耐え、ギターで友達つくった

1959年(ジョン 0歳)
英国レディングにジョン・ジェイムズ・サイクス(以下ジョン)として誕生します。
レディングは野外ロックフェスが行われる英国ロックの地。奇遇ですね〜。

1973年(14歳)
父親がスペインのリゾート地、イビザ島にディスコを購入したため、父親と伯父と移住。ジョンのオヤジはきっとお金持ち!だな。

1974年(15〜17歳)
ギターを弾く叔父の影響で、ジョンはギターを始めます。遅めですね。

学校辞めてヒマなのにスペイン語が全然分からないので、ジョンはひたすら1人で毎日ギターに没頭。ウデを上げると、現地のヒッピーとブルース・ロックをジャムりまくる毎日を過ごす。
ここがジョンのルーツです。

1977年(18歳〜19歳)

ジョン、英国に戻ります。そして建築の仕事を始めます。

恋人と同棲すると恋人からギターを辞めるよう頼まれて素直に辞めるジョン。
1年半もギターを辞めるジョン(笑)。

しかし、

テレビでゲイリー・ムーアのプレイを見て感動!

ジョンは翌日ギターを買ってきて復帰っ!
彼女と別れてギターの猛練習開始っ!
バンドもやりますっ!

ここからジョンのキャリアがスタートですね。

1980年(21歳)

英国のヘヴィメタルバンド タイガース・オブ・パンタンにセカンドギタリストとして加入。
セカンドとはいえ、ジョンはお構いなしにギターを弾きまくり、若き新人ギタリストとして大きな注目を集めます。
しかし、ヒットに恵まれず極貧生活でした。いわゆる下積み時代ってやつですね。

Tygers Of Pan Tang – Love Potion No.9 (Official Video 1982) 

Tygers Of Pan Tang – Love Potion No.9 (Official Video 1982) (John Sykes)

1982年(23歳)
タイガース・オブ・パンタンを脱退。

脱退理由は、米国でオジー・バンドに加入するため

同年3月に飛行機事故でランディ・ローズを失ったオジーバンドは、後任ギタリストとしてジョンを呼びました。しかし、ジョンが米国に着いてみると、オジーの後任はすでにブラッド・ギルスに決まっており、門前払い。音楽ビジネスの厳しさに直面。そのまま英国の帰路へ。
オジー、というか、シャロン(オジー嫁)からの仕打ちがひどすぎる…。

帰国後ジョンは、さまざまなアーティストとセッションを繰り返し、MCAとソロ契約を結びます。

ソロ曲のボーカリストとして紹介されたのは、シン・リジーを率いるフィル・ライノット。2人は運命的な出会いを果たす

ソロ曲との名目ですが、実際はジョンとフィルの共作となった「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」は、切なく繰り返されるギターリフレインが印象的な名バラード。必聴です。

Phil Lynott John Sykes Please Don’t Leave Me Full Version

Phil Lynott John Sykes Please Don't Leave Me Full Version

ミドルテンポの美しいこのバラードは、のちにプリティメイズのカバーが大ヒット。有名曲になりました。

ジョンとフィルは意気投合。フィルは才能あふれるジョンをたいそうかわいがり、シン・リジーのギタリストに迎えます

1983年(24歳)
シン・リジーに加入!

しかし、

希望に燃えるジョンの気持ちを知りつつも、フィルはシン・リジーの解散を突如宣言します

ラストアルバムを出し、ラストツアーのあと、バンドを解散することを明らかにします。
ドラッグがバンド全体をむしばみ、活動の継続が困難になっていました。

ジョンが参加し、大きな貢献を果たしたラストアルバム「Thunder And Lightning」はハードロック史に輝く名作となりました。

THIN LIZZY – Cold Sweat- LIVE

THIN LIZZY – Cold Sweat- LIVE

奇しくもジョン生誕の地、英国レディングフェスティバルでの出演を最後に、8月、シン・リジーは惜しまれつつ正式解散

続いて12月、ジョンは誘いを受け、デイヴィッド・カヴァディール率いる英国バンド ホワイトスネイクに加入します

1984年(25歳)
ホワイトスネイク加入!
すでに完成していた「Slide It In」(「サーペンス・アルバス」の前作)を米国で売るため、ジョンの若々しいギターで再録音します。アルバムは見事ヒット。ホワイトスネイクの米国進出に大いに貢献します。ツアーも大盛況です。

Whitesnake – “Crying In The Rain” (Live 1984) 

★★★ Whitesnake – "Crying In The Rain" | Kings Of The Day (Live 1984) ★★★

 

1985年(26歳)
ホワイトスネイクはジョンの影響からブルースロックバンドからハードロックバンドへと変貌していき、「サーペンス・アルバス」への流れができてきます。

Whitesnake – Slide It In – Rock in Rio 1985

Whitesnake – Slide It In – Rock in Rio 1985

この映像は、のべ1300万人を動員した「ロック・イン・リオ」のライブです。デイヴィッド・カヴァディール、ジョン・サイクス、ニールマーレイ、コージー・パウエルの4人は、ホワイトスネイク、真の”歴代最強ラインナップ”です。

1986年(27歳)

師であり、兄であり、心の支えであったフィル・ライノットが他界。フィルとの死別にジョンは心に大きな痛手を受けます

「サーペンス・アルバス」にはすでに制作に着手していましたが、フィルの死を悼むため、英国に一時的に帰国します。レコーディングは大幅に遅れますが、年内にほぼ完成。

しかし、この空白期間のあいだにデイヴィッド・カヴァディールはある企みを考えはじめます。裏切りの企みを…。

1987年(28歳)

1月に「サーペンス・アルバス」が完成すると、デイヴィッド・カヴァディールは、自分以外のメンバー全員を解雇

フィルの傷がまだ癒えていないなか、ジョンはデイヴィッド・カヴァディールからひどい裏切りに遭います。

ジョンはまだスタジオに居るデイヴィッド・カヴァディールに問いただすため車で駆けつけ殴り込みますが、デイヴィッド・カヴァディールは気配を察して裏口から逃げました。
「卑怯者!」。それ以来、現在に至るまで2人は会っておらず、ジョンがデイヴィッド・カヴァディールを決して許すことはない、と何度もインタビューで答えていますね、

一方、「サーペンス・アルバス」は空前の大ヒット…。

復讐に燃えるジョンは、自らのバンド、Blue Murder結成

しかし、デビューアルバムが発売される1989年までさらに2年を要します。

※Blue Murderについてはこちら!

【特報】2021年元日!ジョン・サイクスついに始動!新曲「Dawning Of A Brand New Day」歌詞MV公開
21年ぶりの新曲「Dawning Of A Brand New Day」を記念して、ジョン・サイクスの魅力を徹底解説!

 

いかがだったでしょうか。

以上が、ジョンが “悲運のギターヒーロー” となったストーリーですが、できれば、2021年にリリースされる起死回生の新アルバムで、若き日の悲運を思いっきり吹き飛ばしてもらいたいですね。

また会いましょうね!

 

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